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【恋せよオトメ!】 「ちーす」 「おはよー!」 「お、おはよっ」 「ちわあっす」 入口の金網から誰かが入ってくると、早朝のグラウンドには気持ちの良い挨拶が飛び交う。それは四月から変わらぬ朝の光景。一日の始まり。 ただその日は野球部きっての笑顔優良二塁手が入ってきたとき、グラウンドは沈黙と化した。 「……ちわっす」 そこにいつもの春の陽だまりのような笑顔はなく、冬眠から目覚めたばかりの熊のような据わった目をしていた。ベンチへ向かっていく栄口を、先にグラウンドに出ていた部員達は目で追うことしかできなかった。 緊張したのはベンチで支度を整えていた沖だった。他の皆はすでにグラウンドで準備を始めていて、ベンチにいるのは沖だけだった。ベンチ内に二人だけで声をかけないのは不自然すぎるが、こんな栄口は見たことがない。 眉間に皺を寄せてベンチに入ってきた栄口に、意を決して沖は声をかけた。 「おはよ、栄口」 「………はよ」 「今日はなんか………ちょっと………あったかいね」 「………そう」 「………あの、俺先行くね」 「………」 二音しか返ってこない会話に、沖は心を折られ帽子を目深にかぶるとベンチから退散した。 その様子をバッティング用ネットを2人1組で運びながら泉、阿部、三橋、西広の四人が見守っていた。 「お、沖君、出てきた」 「そりゃ、あれは耐えられないよ」 「沖、おつかれ」 心の中で沖に合掌した三橋、西広、泉の視線は自然と一点に集まった。 「んだよ、さっさと歩けよっ」 「阿部、バッティングネットより大事なもんあんだろ」 「はあ?」 阿部の反対側で一緒にネットを持つ三橋も、泉の言葉に何度も首を縦に振っている。 「なんなんだよ、お前ら」 「栄口の様子、阿部も見たよね」 「見たけど……」 西広に言われて語尾を濁す阿部に、泉が低い声を出した。 「誰が原因かって聞いてんだよ」 「俺のせいかよ!」 「そう思うのが普通だろ。栄口が悩んでのなんて阿部のこと以外にあるのかよ」 「…………」 泉の言葉に阿部は閉口した。 栄口の様子がおかしいことは一目瞭然だ。けれど、自分には心当たりがない。 「……行ってくる」 「あ、阿部君?」 「ちょっと、阿部」 ネットから手を放しその場に置いて、ベンチに向かおうとした阿部を西広が制した。 「なんだよ?」 「ネット、置いたままじゃダメだって」 「ネットより栄口大事って言ったのはそっちだろ?」 「でも三橋置いてっちゃマズイよ」 阿部が横目で三橋を見ると三橋は鼻息荒く「俺はへいき、だよ」と言ったが、泉が「それとこれとは別だよなー」とその声をかき消した。 「………」 「その様子だと阿部も理由分かんねぇんだろ。そんなんじゃ行っても意味なくね」 「はあ?」 「今の栄口から聞き出せるかって言ってんの。傍に行っても突っ立てるだけなら、時間の無駄」 「…………っ」 それが正論だと分かってるだけに、阿部も言い返せない。 「泉、ちょっとストレートすぎだって………あっ……」 「たじまくん、と、すやまくん、だ」 負のオーラをまといながらベンチを出てきた栄口に声をかけて寄って行ったのは、カゴに入ったボールを運んでいた巣山と栄口だった。 栄口の仏頂面が変わったわけではないが、言葉を交わしながら三人で歩いて行く。 「………こっからは距離あったしね。あっちの方が近かったっていうか」 「え、あ、あの………」 「今行っても玉砕確実なんだから、作戦練れる時間増えて良かったってことで。よーし、運ぼうぜ」 「お、おぅ」 けろっとした顔の泉と背後が気になるが振り向けない西広が歩きだした後ろには、怒りの沸点が超えた阿部とどうしようかと頭を上下左右に回す三橋が残された。 (お前らが行かせなかったんだろうがあっ) バッティングネットを放り出したい気持ちを阿部はなんとか抑えた。 (なに怒ってるっていうんだよ) 昨日いつものT字路で栄口と別れたときは、何も変わった様子はなかった。 (最後にキスしてやらなかったから、か) 互いの部屋で過ごした後は帰り際にキスをするのが、暗黙の決まりになっている。栄口が外でするのは嫌がるからいつもはやらない。キスしてほしかったら、してほしいと言えばいいのだが、栄口はやせ我慢するとこがある。 (キス……なわけねぇだろっ) 今朝の栄口の顔はそんな可愛いわがままを拗ねたものなんかじゃない。栄口のすね顔は唇を少し突き出した愛らしいものだ。眉間に皺寄せて眼ツケたりしない。 「阿部くん。そろそろ、行かないと」 「お、おぉ」 三橋に促されてバッティングネットの支柱を持って歩き出した。 (後で少し話す時間あるだろ) だが、この阿部の考えは甘かった。巣山と田島に左右をガードされた栄口に練習中は近寄ることさえできなかった。 練習後に一緒に校舎へ戻ろうとしたが、モモカンと投手陣について話してベンチへ戻った時には、栄口は巣山と連れ立ってグラウンドを出るところだった。遠ざかる背中に声をかけようとしたが、喉元まで出かかった言葉を阿部は飲み込んでいた。 着替えようとベンチに向き直ると、西広にぶつかりそうになって阿部は身をひいた。 「わり」 「あ、うん。あのさ、そんな気にすることないかもよ」 「………なんで?」 「なんかさ、栄口べつに阿部に怒ってるってわけじゃなさそうだし。見てたらさ、誰が話しかけても栄口怒りっぱなしだったし。阿部と喧嘩してるときの栄口ってもっとわかりやすいじゃん」 「………」 「阿部にだけ怒って、他のみんなにはちゃんと笑うのに。今日は違うからおかしいよ」 「怒ってる奴だけに怒るんだろ。俺ら全員に怒ってんだったら?」 「そんなの理由がないよ。もし俺らに何かあるとしたら、栄口ははっきり言うはずだよ」 西広の話し方は分かりやすい。そうやって順序立てて話してもらうと、気持ちが落ち着く。 「じゃあ、あいつは何に怒ってんだよ」 「それは……もう本人に聞くしかないかもね」 「そう、だよな」 阿部は誰もいなくなったグラウンドの向こう側を、もう一度見やった。 ※※※※※ とにかく、栄口と話をする。 話をしなければ、何も分からない。栄口は理由もなく怒りを振りまくような奴じゃない。そんなの俺が一番知っている。 決意を固めた阿部は中休みでも1組に行こうとしたが、教室から出て行こうとしたところを後ろから強く引っ張られた。 「なにすんだよっ」 右腕を掴む坊主頭に阿部は怒鳴った。 「どこ行くつもりだよ、阿部」 「別に、関係ねぇだろっ」 「次の生物、俺ら実験準備の当番」 「っ……」 阿部は顔を背けて小さく舌打ちした。 「急ぎの用事なん……」 「実験準備くらいしっかりやんねーと、野球部なんもしないってクラスのみんなに言われっだろ」 「でも……」 「1組には昼行け!今は理科室」 腹痛とでも言っておけば良かった。行き先まで見抜かれてたら、適当に嘘をつくことさえできない。 (ついてねー……) 今日はとことん栄口の元へ行くのを邪魔されている気がする。 三時間目の生物は実験だったので手を動かしてる分、時間が過ぎるのが早かった。最悪だったのは四時間目の古典だ。淡々と紡がれる抑揚のない言葉を聞いてると、時計の針まで進みを遅くしているような気がしてきた。こんな意味がはっきりしない話を理解するのが面白いという、栄口の気がしれない。 四時間目の終了を告げるチャイムが鳴ると、阿部は先生の声より先にノートと教科書を閉じた。カバンの中にそれを放り込むと、代わりに大きな弁当箱を取り出した。シルバーの水筒も持ち席を立った。 一番に教室を飛び出した。生徒が溢れてくる廊下の真ん中を阿部は、肩を切らして1組目指して進んでいく。自分の顔を見て、前行く生徒がよけて道ができることなど阿部はもちろん気がつかない。 「栄口っ!」 目指す1組にたどり着くと、阿部はドアを開けると共に大きな声で名前を呼んだ。昼食を食べ始めようとしていた1組の生徒達が阿部の登場に目を見張った。生徒の注目をものともせず、阿部は大股で栄口の席に近づいた。すでに栄口の机にもう一つ机を寄せて座っていた巣山もいたが、間に割って机の上に持ってきた弁当を置いた。 「栄口、一緒に食おーぜ」 阿部が覗き込むと、今朝の凶悪オーラは消えてるが栄口の仏頂面は相変わらずだ。 「ここ、座れよ」 巣山が立ち上がり阿部に席を譲った。 「俺、3組行くから」 阿部の肩をポン、と叩いて巣山は行ってしまった。阿部はちら、と栄口を見た。こういう場合、普段なら「阿部が巣山を追い出した」とか「たまには三人一緒に食べようよ」とか栄口は言うのだが、今日は唇を尖らしてむくれたままだ。 巣山のいなくなった椅子に座り、阿部は自分の弁当の包みを解き始めた。 「食おうぜ」 「……」 栄口の机の上にも弁当は置いてあるのに、動こうとしない。自分の中で何かが切れる音が聞こえた阿部は、右の手の平で机を叩いていた。 「あのなぁっ、いい加減にしろよっ!なに怒ってるかわっかんねぇけど、弁当ぐらい食え!腹減ってるから怒りやすくなるんだって、いつもお前が言ってることだろっ」 「別に怒ってるわけじゃないんだけど……ちょっと気になることがあっただけで」 栄口がやっと顔を上げた。 「それで朝から……機嫌悪かったのか?」 小さく栄口は首を縦に振った。 「一回落ち着いたんだけど、弁当見たらまた思い出しちゃって」 「なんだよ、気になることって」 「…………」 「栄口?」 再び口を閉じた栄口の顔を阿部は覗きこんだ。 「ここまで話して終わりってことはないよな」 「………今朝さ、姉貴が弁当作ってくれたんだ」 「早起きだな、姉さん」 「前からたまに弁当作ってくれることあって。俺と自分とたまに父さんの分で多くて3つだろ。でも今日は弁当箱4つ!4つっておかしいじゃん!」 「弟の分じゃねぇの?」 「違う!弟は給食」 「……そっか」 次第に熱をおびてくる栄口に阿部は少し体を引いた。 「おかしいから誰の?って聞いたら、姉貴なんて言ったと思う?」 「さ、さあ」 「ちょっと、だって!ちょっとって何だよ!!全然ちょっとじゃなくない?」 目の前の自分の弁当が、その4つ目の弁当であるかのように、栄口は睨みつけた。 (そういうことかよ) 阿部は胸の中で呟いた。 栄口と話していると家族の話題がよくでてくる。仲が良い家族だと思っていた。比率的には弟の話が多いので、そうなのだとは思わなかったが、母親がいない分姉弟の絆も深いのかもしれない。 「姉さんだって彼氏がいてもおかしくないだろ」 「彼氏がどうかまだわかんないよっ、紹介されてないし!」 (おいおい、父親じゃねぇんだから) 右手を拳にして机を叩く栄口に阿部は心の中でつっこんだが、口には出さなかった。家族の話は他人が口挟むことじゃない。 「それで朝からイラついてたのかよ」 「うん、ちょっと……え?それ気にして来てくれた?」 「まあ、な」 「もしかして顔に出てた?」 「ちょっとだけな」 「………ごめん」 気まずそうに目をそらして栄口は視線を落とした。 「別に平気だろ」 朝の栄口は野球部皆に衝撃的だったが、言葉をかけるほど栄口はへこむような気がして阿部は一言で済ませた。 「それより……応援してやれよ、姉さん」 「……え?」 顔を上げた栄口は少し眉根を寄せた。 「相手が気になる栄口の気持ちも分からなくはないけど、応援してもらえない辛さも分かってんだろ」 「……うん」 阿部の言葉に目を見開いて、栄口は頷いた。 誰にも応援されない恋。それはまさに自分達のことだ。お互い相手が笑ってくれるならそれでいいと思ってるから、他人に話せない恋でもいい。 そう頭で理解していても、家族に嘘をつかないといけないのは少なからず栄口には心苦しかった。「本当に仲良いのね」と姉に言われる度に、半分嘘の笑顔で返事していた。 それを阿部が気づいてないわけがなかったのだ。 「そんな微妙な顔すんなよ」 「そんなに変な顔してる?」 「してる。眉が下がって半笑い」 「それは変かも」 阿部が机に肘をつき顎を何度か引いた。それは「耳を貸せ」というジェスチャーで、栄口も机に身を乗り出した。教室で数センチの距離はちょっと緊張する。騒がしい教室で自分達の話など誰も聞いてないと分かってるけど、こんな時はグローブが欲しくなる。 「………あのな、そんな顔すんなよ、俺の前で。栄口の場合はさ……お前の一番でいたい奴が、お前のこと一番応援してんだから………おい、なんで下向くんだよ。だから顔上げろって」 肘をついた右手で栄口は頭を抱えていた。 (いきなりそんなこと言うなよ、馬鹿) 顔を上げられるわけない。こんなに顔が熱いのだから、絶対耳まで赤くなっている。二人きりの部室ならまだしも、こんな顔クラスの奴には見られたくない。 ちょっと拗ねてただけなのに、最大級の愛の言葉が降ってきた。嬉しくないわけがない。でも、昼休みの最中に言うのは反則だ。 さっきまで聞こえていた教室のざわめきより、胸の心拍数の音の方が大きい。 パチッ、と小さなプラスチック音が栄口の耳に入ってきた。その後にいただきます、という声もした。 (飯、食ってるし) 人をこんな状態にしといて、本当信じられない。 もう少し、もう少し心臓が落ち着いたら顔を上げて。 箸でつまんだおかずを阿部が落とすような、そんな台詞を言ってやる。 Fin. |