【そこがいい】





 練習始まりの前、準備の時間。
 ベンチでボール磨きをやっていた阿部の下に、てててと近付く影が一つ。
 今日のメニューを確認するためベンチに入っていたオレは、その足音にひょいっと振り返った。
 ら。
「あべ!」
 ふんわりまぁるい頬をほんわり染めて、柔らかな笑顔を湛えた栄口がちょこりと阿部の前に立っていた。
「あ?」
 阿部よ、仮にも恋人に対しその態度は無いんじゃね!?と一瞬思ったが。
 見上げる垂れ目が凄く柔らかいので、ああ、これで良いのかとなんだか納得してしまった。
 案の定、解っているのだろう。
 栄口はその短く無愛想な返答に何一つ気を削がれることも無く、こてりと小首を傾げて笑う。
「今日、一緒帰れる?」
「あー…」
 垂れ目が宙を彷徨う。息を呑んで見守る栄口の目線をビシバシ受けた横顔が、やがて、うん、と頷いた。
「ああ。平気」
「ホント!?」
 祈りが通じて良かったな。笑顔を更ににこにこと深めて、栄口は喜んで、そして、今度は探るような上目遣い。
 目線は栄口の方が高いのだ。だって、立ってる栄口と、ベンチに腰掛けてる阿部なんだから。
 だけど大きな吊り気味の目をむぅっと上目に持ち上げて、
「…ちょっと買いたいモノあんだけど…い?」
甘えて見せる。
 栄口が阿部に対してだけ見せる、ワガママ。
 それを解っているから、阿部は速攻で頷く。
「ああ。いいよ。」
「良かった!じゃ、あとでね!」
「ああ。」
 にこり、思わず見てるこっちまで笑顔になるような極上の笑みを残して、栄口はマウンドへと走って行った。

 その背中を見送って思わず。
「栄口はかぁいーなぁー」
 心中そのまま声になってしまった。
 いやさーだってさー。
 あーんな素直に『嬉しい嬉しいありがと大好き!!』って全身で叫ばれたら、可愛い以外の何物でもないでしょ!?
 泉はないからなーあの天邪鬼さが可愛いっちゃ可愛いんだけどな〜…。
「はぁぁ?」
 ぎろり、さっきまでの柔らかさなど何のその、ぎろりと垂れ目が凶悪な力を宿して睨み上げてくる。
 うぉ、いや、違うって違うって!阿部ちょっと落ち着いて!!!
「いやぁだって、あんな素直に喜んじゃってさ。買い物デートってヤツじゃん??」
 アセアセと本音を並べるのに、垂れ目は一瞬きょとりと見開かれ、そして「ああ、それか」と半目まで瞼を落としてから。
「…んなタマかよ」
 ちっという舌打ちすら聞こえそうな呆れ声が、投げ捨てるように呟いた。
「へ?」
 何々どういうことよ??
 阿部の隣に腰を下ろし、ボール磨きを手伝おうとブラシとボールを手に取りながら尋ねたら。
「あれは、家帰りにくいとかその辺」
 予想と完全にかけ離れた事実が返って来た。
「え!?なんで!?」
「それは聞かなきゃ解んねぇけど…ケンカっつぅ感じじゃねぇから、誰も居ないとかじゃねぇの」
一人になるの苦手なんだと、と、阿部はガシガシと手を動かしながら、どこか憮然とした表情で呟く。
「買い物は?」
「だーから、『遠回りになるけど』の一言が無いっつぅことはCDじゃねぇし、毎月買ってる雑誌の発売は月初めだし、参考書とかなら普通にそう言う。野球関連はもう店閉まってっしな」
 『時間稼ぎのただの言い訳だろ』ってアナタ…。。。
「はぁぁ…良く解んね。オレなら普通にそのまま受け取ってるわ…」
 どれだけ熟年夫婦なんだよ、という呆れ半分憧憬半分で漏らした声、に。
「普通そうなんじゃね?オレに対してだけだし」
それならそれで、素直に一緒に居たいって言えばいいのによー。
 阿部がぶつくさ文句を言う。ああ、なんか釈然としないっつぅのはそこなんですか。
「あ、そぉデスカ」
(要は、ノロケって話ね…)
 当てられた〜とにゃふんと力を抜いたところに、憮然がそのまま飛んできた。
「おお。…一緒だろ」
「何が?」
「泉も」

 そこで初めて気がついた。
 そうか、ノロケた自覚があるわけだ。
 そうしてノロケさせる覚悟もあるわけだ。
 なるほどなるほど。
(確かにまぁな)
 表立って堂々と、宣言できる立場じゃないから。
 二人はまぁね、野球部の皆は認めてるところあるしな。
 親御さんとか兄弟とかも、どうも気付いて見守ってくれてるらしいって泉から聞いてる。
 だけどオレ等は違う。
 本当に誰にも、言えない恋だ。
 それがいいんだと泉が言うから。
 オレを思っての泉の言葉だと、解っているから。
 泉のせいにして、オレは甘えてる。
 泉の優しさと、泉の力強さに。

 阿部は優しいな。栄口が選ぶ理由が解る気がする。
 こういう抜け道を、作る上手さがきっとあるんだ。
(栄口も、ヘタそうだもんなぁ…)

「あー…天邪鬼だねぇ…」
 その優しさに甘えさせてもらおう。阿部のノロケも聞いたしね。
 思わずほへらと返したら、低音がくつくつ笑いながら返してくる。
「浜田に対してだけな」
「えええ!?」
「そりゃそーだろ。オレ等に対しては思ったことそのまま出すぜ、見た目裏切って男前だからな」
「…オレにだけ天邪鬼…」
 確かにそうだけど、それはそれでちょっとヘコまね???
 沈む聴覚に滑り込む
「そこがいいんだろ?」
自信満々な声。
「…何で?」
 思いをそのまま載せて隣を見遣ったら。
 雄臭い横顔が、真っ直ぐ真っ直ぐ一点を見て、にやり、口端をあげた。
「オレにだけ見せる顔があるってのが、いい」
 視線の先には栄口。
 泉と二人でじゃれ合うようにマウンドにトンボをかけてる。
 無邪気に笑う。実に楽しそうだ。

 だけど、先に見せたあの、叫ぶ恋を湛えた笑みは、阿部にだけしか向けられない。

 ああ、そうか、そうだな。
「甘え下手が見せる、精一杯の甘えっつぅか。言い慣れてないワガママ言ってみたりとか、言い訳じみたお願いしてみたりとかな」
「寄りたいトコがある、とか?」
「そーそー」
 そういうのが。
「あーちゃんと、そういう場所になれてんだなぁって、アイツがちゃんとアイツで在れる根っこみてぇなもんに、自分がなれてるってのが」
 甘える場所であれば良い。
 泣ける場所であれば良い。
 ワガママたくさん言えば良い。
 素直じゃない分素直に映る、君の寝床になれば良い。
 ああ、そうだな。
 
 阿部が栄口にとっての唯一のように。
 泉にとっての唯一で在れるなら。
 
「すげぇ、ソソル。」
「…阿部、折角良いこと言ったのに、それで台無し」
「はぁぁぁ!?」
「でも、泉は意外とあれでいて素直よ」
「だぁから、浜田の前以外では普通に素直だっつぅの」
「いやいやいやいや、そうじゃなくってだな、例えば夜とかさぁ」
「ほー。てか、どんなのヤんの?」
「お!?それはだねぇ…」
 お兄さんが手解きしてあげようって、ちょっと、阿部のが経験値高いかもね、何ソレマジで!?!?
 暫し二人で猥談という名のノロケ話に花を咲かせた、とある放課後のお話。







「…とりあえず、何か殴りてぇ…」
「わ、泉!ヤキモチ?」
「殴るぞ?」
「あべ呼ぶもん」
「…殴りてぇ…」
「浜田さん呼ぶ?」
「蹴り飛ばすな」
「…足なんだ…」



 断末魔の雄叫びがグラウンドに響き渡るのは、もう暫くの後。。。